彌栄神社 弥栄神社/いやさかじんじゃ(通称やえじんじゃ)

創建年代は不詳も明治以前は、牛頭天王宮あるいは祇園様と称せられた境内末社に弥栄稲荷神社があります。

鎮座地は、旧大和川の枝流、久宝寺川の東岸近くに位置し、鬱蒼とした老杉・松・樅林の中に祀られていたが、天正年間(1573~1591)の天正の役・石山合戦の際、村落共に兵火により灰燼に帰し、のち慶長五年(1600)正月、時の領主、片桐且元により社地を拝領、社殿を再建復興したといわれています。
元禄時代の当社寺社御改帳に記載された寸法、様式、絵模様から現存の本殿はこの時代のものと推察されるそうです。(彌榮神社由緒より)

弥栄神社